機械化と人間の労働の変化と行く末を考える

私は巨大な建造物を見るのがとても好きだ。


自分の住まいの近くでいえば、

明石海峡大橋


もう何百回と見たが飽きることはない。 

もちろん、壮観な橋そのものの眺めや、四季折々に感じる見事な自然と調和した風景に魅了されている。

ただそれ以上に私は、“人間がすること”にとても興味がある。

これは、例えば、ドバイの世界一高い***にしてもそうだ。下から眺めても感動するが、展望台からドバイの都市を眺めると、人間のしてきたことに驚かざるを得ない。


万人が知っているエジプトのピラミッド。日本だと、大きなお城。人間は実に多くのものを建造してきた。

自分が建築分野出身という事もあるのだが、こういう建造物の工事現場も大好きである。特に日本の自然は険しいので、土木技術は世界でも最高水準だ。まだ、日本の都市部の建築はとても狭い空間に建築するために様々な秀逸なビル建設の工法がある。


こんな感じで、興味は尽きないのだが、私が単純に常に思うことは、こんな小さな人間がどうしてこんな巨大なものを作れるように進化してきたのかである。


ピラミッドやお城の建造には膨大なる人力が投入されている。もちろん、それなりのツールはあったとは思うが、今の比ではない。

現代の建設分野ではやはり、クレーンの存在が大きい。およそ建設現場にクレーンがないところはない。トンネル工事も厳しい現場だ。

青森と北海道を結ぶ、青函トンネルの現場の難解さは子供の時に、映像で覚えている。

それが今や巨大な穴を掘削するシールドマシンがある。

人間は、ツールとして常に人間の労働を補助する、あるいは人間にはとてもできない部分を機械を開発することで、出来るようにしてきた。


これは何も、建設分野だけではない。

産業革命以来、製造工場は機械化が連続的に行われてきた。今や産業ロボットは当たり前である。私が子供の頃、慣れ親しんだ農業の世界も機械化がどんどん進んでいる。象徴的なのがトラクターだ。今は、介護用ロボットも一般化しつつある。人手不足を補ったり、大変な仕事を手助けしたりできるレベルまで進化しつつある。


人間は随分前から、機械がなければ今の産業も生活維持もできない環境を自らが作り上げてきた。

今更、この流れは変わりようがない。

私は、明石海峡大橋を眺める度に想う。

人間が機械を進化させ続けるのは間違いがない。

昔は、人間そのもの能力でできる範囲で生活してきた時代が長かったが、今はすでに人間だけではできない世界での機械化が急速に進化し続けている。


今の機械はITが仕込まれているのは当たり前、ここでもAI化がどんどん進む。

この先の人間の役割とはなんだろうか?


一部の専門の人が研究し開発した機械によって社会インフラや生活環境が変わっていく。大多数の人間は、身近な機械はすでにあるものとして生活する。

そういう時の人間は本当に幸せと言えるのだろうか?


肉体労働が全く世の中から無くなるとは言わないが、そういう自然の営みとも言える人間の一つの活動がなくなっていった時に、人間は体を鍛えるために、スポーツする時間を増やすのだろうか?機械化の進展は人間を退化させているように思えてならない。


以上

近藤昇オフィシャルサイト

株式会社ブレインワークス 代表取締役 近藤昇