妥協と協調は紙一重?

日本人は国内でも海外からも、協調型の人が多いとよく言われる。

実際、私もそういう話題に参加することもあるし、自分以外の日本人を見て、そう実感することも多い。


ビジネスの世界でのイメージとしては、欧米などに比べて、日本人は自己主張や押し出しが弱いとされる。私の実感では、これはベトナムなどの新興国でも同じで、やはり日本人はおとなしい国民だと思われている。


調和型と言うのは、バランスよく人間関係を構築できる人のことであると思う。英語で書けば、ハーモニィ。歌でハーモニィはとても心地よい音色のイメージだ。


単純に考えて、調和を重んじると妥協や我慢を強いられる。自己主張型の集まりで、調和がとれるかと言えば、それはとても至難の業である。ボス猿ばかり集まって、調和がとれるかと言えば不可能だろう。

もちろん、最終的には本能的に誰が強いかの争いになり、その人がリーダーシップで統率すればその集まりはまとまることはあるが、とても調和がとれているとは言い難い。


やはり、自己主張が強いものばかりを集めて調和がとりにくいと言うのは、私も実際に経験は沢山ある。

私の場合は、経営者の集まりに参加することや自ら経営者の集まりを企画実行することも多い。そういう経験に照らすと、ボス猿的な経営者が集まった世界では、調和と言うのは取りにくい。


一方で同じ経営者でも調和型の経営者が中心に集まっていると自然にその集まりも調和がとれる。当たり前と言えば当たり前なのだが、では、その調和型の人と言うのはどういう人なのだろうか?

タイトルで書いた、妥協するということと何が違うのだろうか?


妥協というのは打算だし、誰かが誰かの考えや意見に従う、あるいは抗うのを諦めるという結果に他ならないと考える。

だから、妥協の産物で生まれた取り決めや活動方針というのは、実際には実行に移しても結果につながりにくく、どこかで頓挫する。


例えば、国際会議や地球の問題を解決する集まりは幾つもあるが、メディアを見ていても分かるが、明らかに妥協の産物の声明が発表されることも多い。こういう時の内容と言うのは、あまりにも万人に分かり易く玉虫になる。だからとても残念である。


お互いに譲れないところは、どこかに置き去りにして、もっともらしい共通点だけを決定事項とする。このレベルの会議ではなくても、政治の世界でもビジネス社会でも日常茶飯事とも言える。


こういうこと比べての調和とは何か?

私の考えは実にシンプルで、やはり、目の前の事ではなく、先の事に対しての共通認識があれば、それについては、意見や考えの不一致は殆どない状態になりやすい。

これが調和の前提だと思う。簡単に言えば、随分先の事で一致できない相手とは、調和のしようがないわけだ。


例えば、先ほどの経営者の例で言えば、手段選ばず金儲け優先の経営者と、社会貢献前提で金儲けも当たり前に目指す経営者では、何年先になっても相いれようがない。

今流行りのSDGSで言えば、このどちらのタイプもSDGSを提唱することはできる。だが、この両者の調和は無い、しかし妥協はできる。

もちろん、どちらも自分の事を優先するための妥協はできるだろう。


こんなことを考えていると、今の日本人は、気骨のある、それこそ武士のような人は少ないと思う。海外からの印象が強い協調型の日本人は、実は、妥協の産物の結果ではないかと疑いたくなる。


これからの日本としてやっていきたいことは、地球の未来を見据えて、本気で良い行動をする。今仮にできていなくて、現実とのギャップが沢山あるとしてもそれはお互いが理解して、目標に向かって、努力することに敬意を払う。


こういう心持で経営活動もしていけば、この先、日本は真の意味で調和を世界に伝播する役割ができると思う、私はそういう経営者の一人でありたいと思う。


以上


近藤昇オフィシャルサイト

ブレインワークスグループ CEO 近藤昇