新人類と呼ばれていた私たちは還暦世代

新人類はすでに死語だろうか。

先日、日経新聞で久しぶりに新人類という言葉を見た。

その記事によると。諸説はあるが、新人類は1957年から1965年生まれの新入社員に名付けられたものだ。


私が社会人一年生の1984年。今年の新入社員は何を考えているか分からない。扱いが大変だと先輩方に言われたことを覚えている。

もちろん、これは世間の評判に乗っかっての話だと思う。


そもそも、メディアというのはある意味無責任だとつくづく思う。誰が言い出すのか知らないが、いちいち世代にレッテルを貼りたい人がいるものだ。

私は、そもそも人間の集団を何らかで特徴づけたりカラーをつけたりする考え方が好きではない。


例えば、今でも記憶に新しいが、ある宗教法人が引き起こした社会的な事件があった。この時のメディアは高学歴者、しかも理工系の学生が信者になって・・という論調が目立っていた事を鮮明に覚えている。


メディアとしてはこのギャップ感をクローズアップして注目させたいのだと思うが、よくよく思慮深く考えていないと本当にメディアに流される。


実際、関西でも、大学のカラーというのはつくづく感じた。

実害があったのではないが、典型的な学生ではなかった私にはあまり気分が良いものではない。正確ではないが、私の大学は結婚相手向き、恋人にするなら**大学。単に遊ぶなら〇〇大学。

一体だれがそういうレッテルを貼ったのかは分からないが、日常会話になっていた。


私はそもそも、へそ曲がりなので人をステレオタイプで見ることが好きではない。


まあ、人間はその方が安心できるから、何かと集団に特徴をつけて理解しようとする傾向がある。それに乗じてか何かは分からないが、色々な人が世代であったり集団であったり、何かの特徴づけして話題に載せる。


もちろん、私は、統計的な考え方は好きなので、そういう情報を正確に分析したとしても、せいぜい内訳が変わるだけだ。


例えば、それなりの大学に行っている人は、真面目という印象が世間一般であるが、私の経験上からも、それは大学には関係ない。もちろん、最難関の東大に行くような人は、真面目な人の比率が多いかもしれないが、不真面目な東大生だって存在する。


まあ、私はこんな考えだから、私の世代が新人類と呼ばれたとしても、特段関心もない。


ただ、昔からの口癖でもあるのだが、私は変わっている。ということは、自ら出来るだけ表現してきたタイプだ。

だから世代を新人類と呼ぶことにはあまり同意しないが、近藤さんは新人類ですね。と言われたとしたら、そうです。生まれてからずっとそうです。と言いたいのだが、そういう会話は現実的には成立しない。


こんなことをつらつら書きながら、ふと、思いついたことがある。

そもそも、日本人は・・・ですね。とよく世界では会話されると思う。もちろん、これはどの国にもあることだろうが、私が海外で色々と活動してきた中で思うことは、やはり、これもステレオタイプである。


もう10年以上前の話だが、ベトナム人との社員旅行。女装のコスプレでパフォーマンスを披露したら、社員は最初、目が点になっていた。

しばらくして歓喜の渦になったのは言うまでもない。日本人がこんなことをするなんて。社長がこんなことをするなんて。二重の驚きだったようだ。私はこのように人が思い込んでいることを打破するのが大好きな新人類なのだ。

最後に、断っておくが、このパフォーマンスは、日本人の男女入り交ざったチームで行ったことではあるが・・・。


以上

近藤昇オフィシャルサイト

ブレインワークスグループ CEO 近藤昇