会社が社会と思っている人が多い日本は大丈夫か

日本の奇跡的な戦後復興は、私たちは様々な機会で知ることが出来る。

戦後からすでに80年が近づいてくると、だんだんとそういう事実や語りが遠いものとなりつつある。日本はそろそろ、かつての高度経済成長の結果生み出された経済の仕組みや生活のあり方を変える時ではと思っている。


私は特に、ベトナムなどの新興国からと日本の地方からを基点に日本のかつての成長を見ることが多い。日本というのは、会社を軸に社会が構成され発展してきたことがよく分かる。


今までも、新卒が就職活動をする際に、会社選びに奔走することを憂えて書籍やブログにも書いてきた。しかし、これもそもそも今の社会と会社の現実に照らせば自然なことである。

大人たちが生活している社会が、そもそも会社という存在を基盤に成立している訳だから、そういう大人たちに少なからず影響を受ける子供たちが、社会は会社であると信じるとしても不思議ではない。


ひとつの事例として、私が最近、積極的に力を入れている地方活性化や農業の現場を学びながら思うことを書きたい。

農村が代表的な存在だが、田舎にある農村は高度経済成長が始まった頃から、存続のリスクが発生したと言っても過言ではない。

高度経済成長期は、工業化と都市化が典型的な変化と言えるだろう。農村とこれらは表裏一体の関係であり続けた。今でも変わらない。


昔は日本も農村を中心に社会が成り立ってきた。そこに明治維新から徐々に近代化が始まり、戦後復興の過程で一気にそれが加速した。農村の暮らしは、今も昔も都市部に比べて豊かではない。収入も少ない。工業化、都市化の流れで、農民は製造業で働く事を選択していく。安定的で収入も高いから自然の流れだ。


工業化も拡大すると、都市部の工業地帯から地方の工業団地へと拡がってく。農民の転職がどんどん進む。兼業農家がダメということではないが、週末だけ稲作というのも日本の農業の典型だ。

また後継ぎの長男以外は、働き口を求めて、都市に行く。都市では会社勤めというのが基本だ。

これが今も続いていて、会社に無縁であった農民中心の村の人たちが、どんどん会社勤めに変わっていった。


また、高度経済成長期は中小企業のすそ野のも拡がったが、大企業が驚くスピートで成長し巨大化した。かつて、高度経済成長期のど真ん中の時期は、それなりの大企業に入れば一生安泰。定年まで勤めて悠々自適な生活というバラ色のレールが出来た。今となっては、とっくの前にそれは崩れ去ったが。

少なくとも今ある会社の大半はそういう社会基盤としての労働力供給の仕組みと一体である。だから教育も自ずと、そういう会社に入って勤め上げることに力点が置かれている。偏差値重視の受験勉強が典型的な事例だろう。


これは何も日本だけでなく、高学歴社会偏重は韓国やシンガポールでも見受けられるが、日本の場合は、農業を衰退させた犠牲の中で、都市部や大企業の発展があると言っても過言ではない。


コロナ禍もあっても今になってようやく自然回帰が始まった。それは同時に地方の衰退ぶりに気づくと同時に、農業の脆弱さ知ることでもある。そして、さらにかかわりが深くなればなるほど、都会の生活や大企業勤めでは到底経験することのない、田舎暮らしの実態を知ることになる。


漁業、林業も大切だが、田舎の生活の営みの原点は農にあるのが日本という国なのである。極端な話し、大企業一筋の会社員は、自分の会社が社会だと錯覚している。昔はそれで一生何とかなった。また地球の環境破壊もこれほど深刻ではなかった。だが今は違う。一人一人が社会を知り、課題や問題を把握して、まずは大人達が行動を変えていくことが必要な時代なのである。これから就職する学生の問題ではない。


会社を離れて、社会を知る方法は今どきは結構沢山ある。知っておくべきテーマも多い。食料問題、空き家問題、環境問題、高齢化社会の問題・・色々とある。そういう国が今の日本なのである。


でも、身近なところから創めるのが一番だ。私が一番今推奨したいのは農村を知り社会を知ることである。戦後の日本の歴史から食糧問題、環境の問題。様々なことが凝縮されていると私は思う。


以上

では

近藤昇オフィシャルサイト

ブレインワークスグループ CEO 近藤昇