ゴルフを一緒にするとなぜ親密度が高まるのか?

約3年のブランクを経て、私のゴルフが日常に戻りつつある。

腰を痛め、足を骨折し、一時期は、ゴルフをやめようと思ったこともあった。


もちろん、年々、スポーツする意識というか、体を鍛えておこうとする気持ちは強くなるのだが、ブランクの間は、別にゴルフでなくてもと思っていた。 

私には水泳は日常だし、最近、海のスポーツに意識が向きかけていた。友人がクルーザーにハマっている影響もある。


今年の6月からゴルフ復帰して以来、月1回ゴルファーをしてみて改めて思う事が色々とある。


そのひとつは、やっぱり、他のスポーツにない独特のコミュニケーションのスポーツであること。


ゴルフしたことがある人にとっては当たり前のことだが、ゴルフというスポーツは、18ホール、1ラウンドをプレイするのに、平均的には5時間ぐらいかかる。


細かく書くときりがないが、合間に昼食をはさまずプレイするスループレーをすれば、4時間足らずでも終わる。

しかし、ゴルフはこのプレイの内訳が他のスポーツとは随分変わっている。


本当に球を打つ、加えて球を打つ準備をしているのをいれても、合計で30分にはならない。

そもそも、ゴルフは4人でプレイするのが標準で、仮に4人合計しても多く見積もっても2時間とプレイしていなのである。 


ではその間に何をしているかである。

ここに様々な人間模様が見て取れるのと、不思議な独特のコミュニケーションが生まれる訳がある。しかも毎回違う。

それは一緒に回るメンバーとプレイするゴルフコースが違うのが主な要因だと思う。


要するに自然が相手だから、何が起こるか分からない楽しみがある。屋外でするということは、季節や天気にも相当左右される。

ついでに書けば、炎天下でも出来るし、真冬でも雪さえ降らなければ頑張れば出来る。

最近は、防寒着を着込んだ年末年始のゴルファーも増えた。そういう私も数年前までは日本で冬のゴルフを楽しんでいた。流石に、今は敬遠しているが・・・。


話は元に戻るが、ゴルフというのはチームプレーをする競技ではない。

個人個人が自分一人でゴルフをするのだが、他の人と一緒にプレイする。もちろん、コンペや個人的に競い合っていれば、それは、相手との闘いの要素はあるが、ゴルフというのは、結局は自分との闘いなのである。


ゴルフは他のスポーツに比べて、競技ルールがとても細かい。自然を相手にするだけにそうなるのだろう。また、それに比してもマナーが厳格だ。最近は若者が増えてきたことで、マナーは乱れつつあるが、基本はイギリス生まれの上品なスポーツだ。子供の躾や社員教育にも良いと言われる所以だ。


ゴルフというのは、やってみたら分かるが、一緒にまわっている人のプレイを観賞するスポーツでもある。お互いにお互いのプレイを見ながら、褒め合い激励し合いながらまわるのである。


だから、ゴルフ初心者で一番苦労するのは、上司や上級者とまわって、その人がショットを打った時にかける一言だ。


“ナイスショット”

これはなかなか難しい。


自分からはナイスショットに見えても、本人からは納得いかないショットは沢山ある。このあたり一つでも奥が深い。


更に書くと、そもそも、自分以外の3人の全てのプレイを観ることが出来るのか?

それは、自分の実力とその人の出来次第である。

理想は、自分もプレイを楽しみ、一緒にまわっている3人の全プレイを見ること。


これは、ルール上は出来るようにはなっている。要するに一人ずつ順番に打つのが基本だから。


だが、なかなか実際は実現しない。誰かが自分とは正反対に行けば、なかなか見れないし。そもそも、自分が林の中に入れば、人のプレイなども見る余裕もない。


ゴルフというのは、実際にプレイしてナイスショットやスコアが良いのはとても嬉しいのだが、楽しみ方は沢山ある。


また、ゴルフはメンタルなスポーツの極みとも言える。その理由は、天候にもゴルフ場の形状も同じものがないということに加えて、そもそも、ゴルフをしている半分以上の時間は、カートか歩きで移動する。


そしてその間に、自分の前のプレイを反省したり、次のプレイの構想をしたり。あるいは、誰かと話したり。実に絶妙のプレイとプレイの時間がたっぷり存在するのである。


私はベトナムで日常過ごしていた時に、ベトナム人と良くゴルフした。言葉は片言英語だが、一緒にプレイしているという実感とゼスチャーでのコミュニケーションだけでも親密になる感覚。

何度振り返っても、ゴルフは特別なスポーツである。


そんな私が改めて全世代を巻き込んだゴルフを活かしたワーケーションを考案しようと思っている次第である。


以上

近藤昇オフィシャルサイト

ブレインワークスグループ CEO 近藤昇