1日1日を大切にという感覚が深まる日々

日増しに、1日の大切さに対する感覚が変わってきたような気がする。


人生が仮に80年としたら、一生で約3万日ぐらいある訳である。

そう考えると、途方もない時間である。


しかし、いつの頃からだろうか?

残り時間を意識し始める。

私のおぼろげながらの記憶では、40歳前後の時だったように思う。

今からその頃を振り返れば生き急いでいた。と思う。


実際、私が創業した時代、まだ、日本人の平均年齢も40歳ぐらいと低かった。また、平均寿命も低かった。31歳での起業は早い方だった。

だから、40代半ばでの引退を漠然と考えていた30代半ばだった。そして、40歳が近づいてきて、人生の折り返しに到達したという思いと、会社の経営も困難な中にあり、ちょっとしたスランプになっていた。2年ぐらいはそういう状態が続いたように思う。


今から振り返ると、はしかのような感じだが、その時は、若気の至りでそう思った。

一言でいうと、焦っていたのである。


あれから、更に20年近くが過ぎた。

残り時間でいうと、もっと焦りが増していても不思議ではないが、実際はそうではない。

どちらかというと、年々、時間に対しての焦りはなくなってきた。


私なりに考えると、そもそも、残りの人生を考えることはナンセンスとまでは言わないが、あまり意味がないと思うようになってきた。

逆に言うと、この年齢になると、周囲を見渡しても、いつ何があるか分からない。


だから、残り時間がどうのこうのよりも、1日1日の大切さを痛感する。痛感と言っても、何かつらいとかしんどいという訳ではない。

感覚的には、前向きに1日を過ごせる。


今だけを見ていた若いころと違って、前も見ているし、そして歩んできた過去もいつでも振り返ることが出来る。

こういう時に、数々の失敗は今でも走馬灯のように頭にこびりついている。一方、数少ない成功は、どうしてそうなったのかは、あまり明確ではない。感覚的には、たまたま、上手くいったというのが正直なところだ。


だからこそ、失敗から得るものは大きいと言えるのだが、今日の1日にとって、過去の失敗を意識するかというとそうではない。

要するに、1日単位で見れば、当たりはずれの日もあるし、悪いことが徹底的に重なる日もある。体調が悪いときもある。突然、身近な人のトラブル対応や病気対応で時間をとられることもある。


自分が原因の時もあるが、そうでない時もある。

何か悪いことが起ったら、全部自分の日頃の行いのせいだと考える方もいるが、私は全くそうは思わない。

もちろん、自業自得と言う出来事は私にも多々あり、周囲からご指摘を頂くことも多い。

しかし、一方で、不可抗力というか、自然の摂理というか、確率的にたまたま起こる悪いこともある。

そろそろ、私も還暦である。

昔でいえば本当に引退間近であるが、今は違う。

1日1日を常にリセットして、全力投球。結果に一喜一憂することなく、自分が積み上げてきたもので、一つずつ丁寧に精いっぱい対応する。


果報は寝て待て。人事を尽くして天命を待つ。

こういう心持ちで、60代は過ごしてみたいと思う。

最後に付け加えるとしたら、1日が若い頃の1年の感覚でと言ったら、大袈裟に聞こえるかもしれないが、実際にそう感じる時が時々ある。それだけ、密度の濃い人間関係の中でいられることにありがたみも感じる日々である。


以上

近藤昇オフィシャルサイト

ブレインワークスグループ CEO 近藤昇