仕事はそもそも楽しいものなのか?

もう40年近く前の話になるが、新入社員時代、私は仕事が全く楽しくなかった。

学生時代に遊び惚けていたのが最大の原因だが、もう一つは、自分の希望する仕事に就けなかったからだ。


このブログでも何度も書いたが、農家出身で現場志向の私は、ゼネコンに就職する際に、当たり前のように現場監督を希望した。


青天の霹靂とはこういうことを言うのだと、痛感した。配属が電算室、今でいう情報システム室になった。


来る日も来る日も、IBMの汎用コンピューターを学ぶためのテキストを読まされた。

それと同時にIBMの研修センターで講習を受けた。実に、一年生の時に年間約50日間、外部研修だ。


根本的に、コンピューターは学生時代から敬遠していたので、IBMの研修が楽しいはずがなく、毎回、居眠りとりっぱな食堂での昼食を楽しみにしていた。

こんな訳で、一年生の頃に仕事が面白く感じたことは、ほぼなかった。


そもそも、遊び惚けた学生時代の延長で、働く事に対して真剣に向き合えないまま、定刻が来たらパチンコ屋に向かっていた。


今、私がわざわざ、仕事が楽しいです。と言わなくても、周りの方々から、楽しそうですね。と言われる。

そういう周りの人達とのやり取りで、仕事を楽しくしているように見えるんだと、再認識はするが、そもそも、仕事が楽しいとはどういうことかを考えてみたい。


へそ曲がりの私としては、実は、つい最近まで仕事がたのしいと思ったことは一度もない。

そもそも、仕事は楽しくないのだ。

こんなことを言うと身もふたもないが、そもそも、仕事の定義や捉え方は人によって全然違う。


私は、創業時から仕事は自分で創れを標榜してきた。そして、このタイトルの本を2冊、このブログもこのタイトルだ。


自分で改めて考えてみたら、この表現で使う仕事とは、どちらかと言うと、事業創造や自分の生き方、働き方というニュアンスが強いと思う。


つまり、世間一般的に社会人が仕事する話とは違う。私は農家出身なので、その視点から見ると、畑を耕し、種をまき、育成管理をし、収穫をする。そして売る。子供の頃はこれが農家の仕事に見えていた。


だから、ただ単に大変そう。しんどそう。そして、かっこよいことには見えなかった。

中学生の時は、タクシーの運転者になろうと思った理由を覚えていないが、農家とは違う何かに憧れたのかもしれない。


結論から書くと、今、私は農業に関して自分なりの仕事は自分で創れを実践する準備をしている。もちろん、これには農業をするという仕事は含まれているが、農業そのものを魅力的な仕事にして、そして、全世界の人が農業を人類にとって不可欠な本質的な仕事として認識できるように活動する考えだ。


こんな風に書くと、創造することが仕事なのかという話にもなる。

創造的な仕事は一見誰しも楽しそうに思う。

その対極に経理や管理の仕事はルーチンワークが主体なので、面白いとは表現しにくい印象がある。

私の場合は、20代は、会社に属して仕事していた。20代半ば過ぎから、つまらない仕事をどうやったら楽しくなるかを考え始めた。


そして、31歳で起業した。世の中の事がよく分かっていないままに、起業した。

とにかく楽しいことだけをしようと思っていた。

当たり前だが、そんなに世の中は甘くない。

収入を得るためには、とにかく、好きとか嫌いとか、面白いとか面白くないとか、顧客が嫌いだとか。こんなことを言っている場合ではない。


創業10年で、仕事をする本当の意味を学んだ。

40歳過ぎからは、仕事は楽しんでいたつもりだが、経営を楽しむことは流石にできない。

書き出したらきりがないぐらい、苦難の連続だ。


私より10歳以上上の先輩経営者と仲良くしていると、経営をしている限り、逃れられないものだと思う。

だから、私のいう仕事を楽しむ世界とは違う。

よっぽどでない限り、経営を楽しめる人はいないと思う。


でも、私は、今は楽しい。だから、周囲にも伝播しているのかと思う。

では何が楽しいのか?

それは、仕事の結果に囚われず、今、お付き合いのある馬の合う方々と、未来を創る活動が、毎日のように増えている。


こういう快感は経営をしていることのはるか上の世界であると思っているし、結果的にそれが社会の役に立ち、世界平和につながればと思っている。そんな意味での仕事を楽しんでいこうと思っている。


以上

近藤昇オフィシャルサイト

ブレインワークスグループ CEO 近藤昇