過去のしがらみを引きずる時代の生き方

最近、ずっと考えていることがある。

それは、人と人のつながりの記録のことである。


私は仕事柄、ITを長年使ってきたし、それをビジネスの源泉にしてきた結果がある。だから、記録の時代にある人間がこの社会に適応することが重要で、今は急激な変化に人間が苦悩していると思っている。


象徴的な意味で、しがらみという言葉を考えてみる。


デジタル大辞林で調べてみると、なるほどと納得する。

1 水流をせき止めるために、川の中にくいを打ち並べて、それに木の枝や竹などを横に結びつけたもの。

2 引き止め、まとわりつくもの。じゃまをするもの。「世間の—」


例えば、過去のしがらみを断ち切る。とか、過去のしがらみに縛られて生きる。こういう使い方が一般的だと思う。


映画でもドラマでもこの人間のしがらみが、ストーリー中に巧みに取り込まれている。

私は、こういう人間が創造した映画やドラマを観ながら思うことがあるのだが、共感はしつつも、人間ってもっと泥臭いしもっと深いよねというのが本音だ。


事実は小説より奇なり、という有名な言葉があるが、人間の生身の世界で本当に起こっていることは、自分本人しか知らないことも多いはずだ。


過去は忘れたい、嫌なことは思い出したくない。特に失敗経験や人とのトラブルや感情のもつれなどは、できれば忘れたいことの一つだろう。


一昔前であれば、よっぽど、日記に書いているとか手帳にメモしているのでなければ、そういう忘れたい出来事は時間とともに記憶が薄れていく。そうして、自分の記憶から消えていくと思い出すこともない。時として、強烈すぎる刺激になるとトラウマとして残ってしまうが、一般的には、人間は、過去の嫌なことなどは忘れていくようになっている。


ところが、今は変わってしまった。

それは、SNSの登場によると思う。特に、Facebookはつながりを見える化した代表的なツールだと思うが、使っている人と使わない人の世界は全く違うところがある。


使っている人にとっては、当人がどこまで開示するかによるが、自分の人つながりをオープンにした世界で生活している。使わない人にとっては、今まで通りだと思う。


今は、まだまだ、SNSは新しいツールだし珍しいし、投稿はそれなりに面白い。今を楽しめるからよいやという安易な気持ちの人が多いと思う。


ところが、私の周辺でもトラブルの発生頻度が増えてきた。つながりが切れた時、それまでのつながりをどうしていくのかの答えはまだない。


例えば、会社でSNSを使う。そうすると、会社の一員としても個人としても結果的にはつながっていることになる。SNSの世界では、会社とプライベートは分けているつもりでもこれは容易なことではない。


会社を退職した時に、それまでにつながってきたことを一切断ち切るのか?継続するのかの二者択一ではないにしても、一切断ち切らな限り、結局はつながる選択をするということになる。


一部だけ、つながりをキープするという芸当は、今のSNSの仕組みや機能では不可能に近い。


これをSNSがなかった時と対比してみればわかる。こういう時代は、選択肢は沢山あった。

会社に属している間は、100人とつながりがあったとして、離れた後は、その中の数人だけとつながりをつづけることは普通にできたし、実際に私もそういう若い時を過ごしてきた。


要するに会社を離れても人生で付き合っていきたい人とつながってくという選択だ。人間にとっては、これが自然な行いかと私は思う。

余計な過去のしがらみを引きずって人生を過ごすことは意味がない。人生は人付き合いも選択の連続である。


ところが、SNSを使っていると、自由で柔軟な選択が実に難しい。

特定の数人だけとSNSのつながりを継続するというは難解である。そうなると、やはり、一切、使うのをやめるという選択になる。


今は、SNSは過渡期であるのは間違いがないが、先のことまで考えてつながるのではなく、今だけでつながっている人が多いと思う。


先々になって、後悔したり苦労したりしないためにも、今、本当につながる必要がありますか?今、そのつながりをわざわざ公開する必要がありますか?あるいは、先のことも考えて使い分け出来ていますか?

私もITの専門家の一人として、こういうことをしっかり道案内しないといけないなと本気で思っている。

私のような経営の責任者をしている立場だと、転職もないわけで、今、つながっている人とは、ずっとつながっていく。そういうつもりでいることで行動する立場でもあり、逆に言うと、自分からつながりは切ることはない。


以上

近藤昇オフィシャルサイト

ブレインワークスグループ CEO 近藤昇