これからは人間にとって、データが神になる時代が来るかも
データ教という言葉を聞いたことがあるだろうか?
私は、ユヴァル・ノア・ハラス氏の著書“ホモデウス”で初めて知った。
そして、この表現を結構気に入っている。というよりもハマっている。
なぜかというと、私は最近、人間らしさに強く興味をもっていて、色々と探求してきた。
その中で、自然と出てくる関心の一つが人間にとっての宗教とは何か?だった。
まだ、さわり程度しか理解していないが、今想っていることは、人間は社会的な動物であり、生きていくためには、つながりが不可欠であること。これは人間関係であったり社会的ネットワークとも表現できる。
私なりに考察していると、人類は誕生以来、つながりを追っかけてきたと思う。より安定的なよりスケールが大きい存在と、つながりたいと人間は常に考える。古代はそれが太陽神だったかもしれない。いずれ様々な宗教が生まれ、人はそれを介して更につながるようになった。日本で言えば古神道、神道だ。
それぞれの生活環境とのかかわりの中で、場所によって何とつながるかが違う。日本の場合は、大自然に恵まれた環境で、必然的に自然とつながった。過酷な自然の砂漠地帯や熱帯地域などでは、積極的な自然とのつながりは生まれず、それが様々な宗教になった。
生活環境の違いによる影響で人間は多様なのだと思う。
ホモデウスのデータ教はなるほど思う。
データが信用に値すかどうか?これへの答えは単純ではない。誰でも知っているように、データは改ざんできる。
また、機密保持も容易ではない。
そんなデータを信用できるか?
データを介して、人とつながってよいのか?
ますます、現代の人間は悩みにハマる。
ハラス氏の説は、宗教や神の存在に変わって、これからはデータがその代わりをする時代が来るかもと書いている。
私は、すでにそういう時代は始まっていると思っている。
ITに関わって仕事してきたことも大きい。
ITから距離があって生活したり仕事したりしている人達の認識と現実は相当なギャップがある。
以前のブログでも書いたが、良い意味でも悪い意味でも、今は記録の時代である。
知らない間に、沢山のデータがどこかに蓄積されている。その大半は、誰かが意図的に密かに収集している。
私の会社の本社の近くに生田神社がある。縁結びの神様がいる。いつ行っても、沢山のおみくじが結んである。
一方で、今は、スマホで縁結びをアシストしてくれる時代だ。実際に、利用する人に聞いたことはないが、それでロマンやワクワク感はあるのだろうか?と思う。
その反面、データの精度の問題ではなく、これを宗教や神の代わりに置き換えてみる。なるほどな。と言う気がしてきている。
私は、いずれ人間は究極の選択をする時代が来ると考えている。
縁結びの話をつづけると、遺伝子情報を中心に、個人の経歴、趣味嗜好、生活履歴、祖先の情報などなど、日々、こういう情報がどこかに蓄積されていく時代だ。
いずれビックデータとAI君が、自分にとって最適なパートナーを秀逸なアルゴリズムで推薦してくるだろう。そこには、偶然の出会いも、友人の紹介もない。ラブレターを渡すドキドキもない、告白する心臓のバクバクもない。そして、失敗もない。
もちろん、データで縁結びしても失敗があるかもしれないが、しかし、理論上は最適なのである。こんなことが実現できる時代が来ている。
偶然に期待しますか?
データに期待しますか?
こんなことをあれこれと考えてきた私が、今想うのは、データを神様だと思うのも良いのかもしれない。
そんなことを知り合いに話したら、京都に電波の神様がある。IT系の会社は皆、お参りに行くそうだ。私も一日も早くお参りに行きたいと思っている。
以上
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