便利が進む中で感じる不便
便利と不便。
これは、絶対的なものではなく、感覚的、相対的なものである。
日本は、海外の人から見たら、とても便利な国である。特に、ベトナムなどの新興国から見たら、未だに、便利で未来の夢のようなところがある国である。更にベトナムよりも未開の国は、もっとそうなる。
このことは、このブロクでも再三書いて来たことではあるが、日本人にとっては、当たり前のことも多い。
私は、日本人は便利な国に住んでいるはずなのだが、それでも、新興国以上に不便を感じているのだと思う。そして、急速にITなどの最先端テクノロジーによって、自動化が進み、ITで生活環境や仕事環境が、ますます、つながる時代。
便利と言えば便利だが、常に今が当たり前になって行き、それが不便を感じる原因になっている。
先日、定宿の東京のホテルのチェックインで、長い行列に遭遇した。考えてみれば、長いコロナ禍の中、宿泊客がようやく戻って来たのであるから、コロナ禍以前の光景なので、何かが大きく変わったわけではない。
私も、かつては海外出張の機会も多く、ある程度、大きなホテルでは、観光客なども多いため、チェックインの結構な待ち時間は、慣れっこになっていた。
だから、コロナ禍前だとなんでもないのだが、先日は、この待ち時間にストレスを感じてしまったのである。原因をそれなりに考えてみた。
一つは、しばらく、コロナ禍でホテルはずっとすいていた。この状態がずっと続くわけではないのだが、やっばり、チェックインは人が少ない方が良い。
もう一つは、コロナ禍の間にも、世の中のIT活用は劇的に進んでいる。知らず知らずのうちに、スマホで何でもできる世の中に近づいている。であれば、チェックインぐらい、スマホ一つで簡単にできるのではないかと思ってしまう。
しかも、私は、ホテルの系列の会員サービスに入っていて、それで予約している。なのにどうして、わざわざ、フロントに並ばないといけないのかと思ってしまう、
ちょっと不満の気持ち。そう、この気持ちが不便さを感じるのである。要するに、出来て当たり前という感覚なんだろうと思う。他でできている部分を見つけてしまうと、ここでもできて当たり前と思ってしまう感覚。
今、日本にはこういう事が蔓延しているのではないかと思う。簡単に言えば、日本の便利で良い所に目が行くのではなく、粗さがしではないが、欠点の方に目が行ってしまう状態。
人を見る時に、長所ではなく短所を見てしまう状態に、知らず知らずになっていることに気づく。だからこそ、しつこく書くと、新興国などから見た日本の便利過ぎる状態を、私たちは常に自覚しておきたいところである。
実は、このチッェクンには、もう一つ、話があるのだが、とても楽になったと感じることがある。それは、チェックインの際に、毎回書かされる宿泊者情報である。一見さんなら全く問題ないのであるが、こんな時代でも、何度宿泊していても、毎回、記入を求められるホテルもいまだに多い。
東京のこのホテルは、前々回位の宿泊から、タブレットに私の登録済みの情報が出てきて、そこに、私の名前と電話番号を入れるとOKとなっている。
これは、便利か不便かと言うよりも、何度も来る顧客に対しての扱いの問題だと思う。そう。この20年以上、日本の企業が取り組んでいる顧客満足度の向上の話である。
ITがなくてもできる部分はあるが、やっぱり、リピーターをどう大切にするかが原点であると、改めて実感した次第である。
以上
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