農業が私の原点からライフワークに変わる今

農業の奥の深さや役割の多様性に、今更ながら発見と学びの日々である。 


最近の私の活動は、今の本業とはあまり関係がないところでのつながりが加速度的に拡がっている。特に、第一次産業とのかかわりが密になって来た。 

 

中でも農業に関して、毎日のように、現場の皆さんと試行錯誤したり情報交換したり。特に今は日本国内での農業ビジネスにか関わっている方々とのつながりが一気に増えてきた。


もちろん、私もできるだけの時間を費やして、北海道や山口などのご縁がある農業の本場を訪ねている。


今更言うまでもないが、日本の農業の課題は山積している。


おさらいの意味で、要約して書くと、戦後復興の中、経済成長ありきでとりわけ工業化を推進してきた。農村部の農業従事者は、工業団地で働く労働力としてシフトしていった。


豊かになった日本は、安価な食料を海外から輸入する国となった。良く出てくるのが、食料自給率だ。カロリーベースでは、40%弱。先進国の中では突出して低い。


そして、日本の高齢化と共に、農業従事者人口の減少に加えて、専業農家の平均年齢が70歳近い。これだけ見ると、農業の将来は悲観的にならざるを得ない。


感覚的に書くと、10年以上前ぐらいから、日本も農業ベンチャーが生まれるようになった。今では、アグリビジネスと言われるように、一見最先端ビジネスのような雰囲気も少なからずある。そして、ITを駆使したスマート農業。


もう一つ書くとすると、農業の現場を事実上支えているのは、新興国からの若い働き手だ。建前上は、技能研修制度であるが実態は労働力である。

こういう現状の中、これからの日本の進む道は、いよいよ正念場を迎える。


今のところ、志を持った方々が、日本の農業の未来を憂えて、ものづくり日本の代表選手として、安心安全な食の担い手として、多様な活動されている。大いに期待したいし、私もその中の一人としての自負はある。


私の人生の原体験として農業がある。

18歳まで、専業農家の次男坊として過ごした私は、それまでの経験から、農業から離れる道を選んでいった。すでに他界したが、親父の想いや努力のかけらも理解しようとせずに、40歳ぐらいまで過ごした。


私はその時は、創業して10年ぐらいになっていたが、正直、自分が農業ビジネスをするイメージはあまりなかった。

新興国での活動が私の目を覚ましてくれた。

特にベトナムの15年ほど前は、工業立国ベトナムを掲げて、ともすれば日本と同じような経済成長を指向していたと思う。一方で、見識のある方の考えは違っていた。


私に農業の大切さを認識させていただいたのは、ベトナムの重鎮のカン氏だった。

カンさんは、元軍人で、日本びいきの方であり、ドイモイ政策の中から生まれたばかりの企業支援で活躍されていた。

私が40代前半でお会いして、カンさんは60歳を超えていたと思う。


“これからの地球の脅威は何か分かるか?近藤さん”とカン氏が聞く。

瞬間も頭に浮かんだのは、戦争。

カン氏は、中国人の胃袋だよ。

もちろん、これは中国人だけをさしたわけではなく、それだけ人口の増加が食糧難をもたらすという意味だ。


近藤さんは、農家で生まれ育った経験があるなら、農業ビジネスをするべきだよ。


この一言で、私の子供の頃からの悶々としていた気持ちはクリアになった。

それから、農業について、国内外で学び、色々な活動する人との出会い。

そして今、いよいよ、自分自身も農業を始める。

いずれにしても第一歩は、農業ビジネスをするよりも、農業でものづくりを学びなおすこと。

こんな第一歩から初めて、日本だけでなく世界の農業の健全な発展に貢献しようと思っている。


以上

近藤昇オフィシャルサイト

ブレインワークスグループ CEO 近藤昇