情報に対して飢餓になる事も時には必要

一つの健康法として、断食というのがある。

人間の体は、遺伝子的に、断食を経験するととても健康的なメカニズムが働くようだ。

これは、最近読んだLIFE SPANに書いてあったことである。


昔からこういう類の話はよく聞くし、実際、私は、時々、ダイエットのために1か月ぐらいは食事制限する。断食ではないが、通常より食事量を2/3ぐらいに減らすと体重は減るのはもちろんのこと、体の調子がよくなるように思う。

多分、断食のメカニズムと似ているような気がする。


日本のような贅沢な国では、一般的には食べるものには不自由しない。お金さえあれば、なんでも食べられる環境なので、欲を抑えるのも大変である。

また、美味しいものを毎日食べていたとしても、人間にはやはり飽きが来る。

せっかくの美味しい食事の感動も薄くなるし、満足度も下がる。

やはり、あり過ぎというのは人間にとって良くないことだと思う。


本題に移るが、今、情報過多と言われている。

インフォデミックという表現もこのコロナ禍で拡がった。情報がありすぎて、たいていの人は混乱しているし情報に振り回されている。


脳が常にピリピリと活性化していることに、私自身も気づく時がある。

食事でいえば、お腹いっぱいという感じだ。


もうこれ以上、結構です。

こういう状態に陥ってしまうと、折角の新鮮で有益な情報でも、その価値を見損ねてしまう。


私は、時々、社員に話しながら、自分自身にも戒めてきたことがある。

私はこの30年、経営をしているので、経営に関する情報を見つける事には敏感だ。

ただ、私自身でも創業時の方が、一つの情報に対しての扱いは今よりも遥かに研ぎ澄まされていたように思う。


例えば、顧客開拓に関していうと、創業時はどの会社でもそうだが一般的には顧客開拓は大変だ。会社の信用も無ければ、顧客になる可能性がある情報を見つけるのも大変。


だからこそ、たった一つの経営者の連絡先がとても貴重なのである。新聞記事一つでも、なにかピンときたら、それをてがかりにビジネスチャンスを見つけるために必死でその情報を大事に扱う。


数が少ないということは、それだけ情報に対する感度は磨かれる。


あくまでも感覚的なものだが、私の場合、今の情報量は創業時の1年が今の1日ぐらいに相当する感覚だ。これは嬉しい悲鳴でもありながら、結局は一つずつの情報にきっちり向き合えていないということでもある。


だから、創業時に比べると自分自身の情報の感度は鈍っているのではないかと疑いを持っている。


実際、数が多いと、そこからスクリーニングする情報の質は高いことが多い。だから、大多数の他の情報は必要ないという言い方もできるが、ビジネスの成功原則から考えると、誰でもが価値を認める情報が本当に価値なのか?ということも言える。


中小企業の社長であれば、1年にたった一つの情報で、会社が大転換した、飛躍したという事は皆経験していると思う。


こういうレベルで情報を考えた場合、情報は数ではないことは分かる。だからと言って、必ずしも質でもない。


情報が幾らでも入手できる贅沢な環境では、情報感度を磨くのはなかなか至難の業だ。


食事でいえば、断食とまではいかないが、やはり、定期的にダイエットをすることに近い取り組みが必要だ。新しい情報を探すよりも、今、自分の周りにすでにある情報を大切に思い、見直してみたら、思わぬ成果につながることは多々あるのである。


常に新しいことばかり追っかけるのではなく、今すでにある情報を大切に扱う。情報感度を磨くための大切なポイントである。


以上

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株式会社ブレインワークス 代表取締役 近藤昇