“何かを始めるのに遅すぎることはない”ことを気にする時代は過去のもの

何かを始めるのに遅すぎることはない。

私が40歳の頃から、好きで使ってきた言葉である。


伊能忠敬の功績や活躍を伝える際に、良く引用されている。彼が自らそう語った話ではないと思う。私はこの言い回しを20年近く、ことある度に使ってきた。


今まで、好んで使ってきた理由は、大きく分けて2つである。

人間は、何歳になっても若い頃に戻りたい。

若い頃にああしておげはよかった、こうしておけばよかったと思う生き物である。私もそういうところは今もある。


それともう一つは、私が31歳で創業した頃にはすでに、日本に高齢社会は忍び寄っていた。統計的なデータではもっと前から予兆は見えていた。長生きが始まって、子供の数が減っていくと誰でも予想できるものであるが、身近で感じないと、ほとんどの人は今の自分には関係がないとなる。


そういう雰囲気がまだ蔓延していた頃から、私は勘で高齢化社会の日本の課題を一つでも解決しようと思い、シニアの仕事の紹介ビジネス“シニアジョブネット”を始めた。


今から20年以上前の事である。それ以来、踊り場はあったが、シニアの活躍について常に問題意識を持ちながら、自社でできる貢献はしてきたつもりだ。だから、何かを始めるのに遅すぎるということはない、世論と言うか社会の雰囲気づくりは重要だと思った。これが2つ目の理由だ。


今も、世の中の議論には、若者の活躍の場を阻害しないために、シニアは引退するのが自然だとか、イノベーションは若者がするに限るとか、起業家にしてもIT系のスタートアップをはやし立て、なんとかテックをつければよいと言うワンパターンの風潮は相変わらずだ。


一方、どんな人も年々、年をとる訳で、そうすると20年前、自分のことや身近な人のこととしてしか考えなかった人たちが、50歳を超えて微妙になってくる。


統計的にも科学的にも証明されつつあるが、人間は50歳ぐらいを見えてくると、社会的な意識が急速に芽生えてくる。


そして人類の未来にも気持ちが向くようになる。実は結構な人が孫を持ち出すのが、50歳頃だろう。私はまだ、そういう意味では未経験だが・・。

要するに、生まれたばかりの赤ちゃんをみて、この子たちが大人になった時の社会や地球の環境が気になりだすのである。


当然、自分たちの今も気になるが、間違いなく自分たちがいなくなったとき、自分の孫が、本当に今より豊かに健全で暮らすことが出来るだろうか?

こんな想いが芽生える年齢だろう。

もちろん、身内に孫がいるいないにかかわらず、たいていの人は同じように思考が変わってく年代だ。孫の未来を想うことは大きなきっかけの一つだと思う。


そういう風にも考えると、そもそも、人間の人生に早いとか遅いとかの尺度は何の意味を持たないことが分かる。

それぞれの時代の変化の中での適正年齢と言うのがあり、そうすると、昔の50歳は、人生が60年の時の役割だし、今の50歳は人生が80年が当たり前、もしかしたら100歳になるかもしれない時の50歳の役割がある。


だから、平均的な寿命の中の尺度だけではなく、今の社会にどういう世代の人が何に対して貢献するかが重要になってくる。


そうすると、目の前の経済や仕事だけを考えると、若い人には劣る。若い人の機会を創らないといけないと思い込み、狭い狭い袋小路にハマる。


今は、世界がつながる時代、課題も地球上で共通することも多い。オンライン使える。

今は、何歳になっても適正な活躍できるテーマが日本国内にも新興国にも山のようにある。


私は、まだまだしたいことは沢山ある。

確かに、40代が体力的には一番充実していた。一方で、今のような人とのつながりは、今に比べたらとても薄かった。


これからは体力は衰えていく。幸いなことに、オンラインが世界中で使えるようになっていく。考えてみたら、この1人間として見た場合でも拡張機能が地球上で使える。


何歳になっても常に新鮮で新しいことにチャレンジできる。

すでに“常識的な年齢を超えて活躍した人”を凄いと思う時代は過去のものであり、

何歳になっても、新しいことや社会貢献に取り組むことが何よりも重要視される時代になってきたように思う。


以上