理想と現実のギャップの中で生きる力

子供の頃は、大人になったら何になりたいか?

こんな無邪気な時期が誰にもあった。


私は、小学校の頃は大工さん。図画工作は好きだったし近所の大工工事を眺めるのがとても楽しかった。中学校になるとタクシーの運転手。理由は覚えていない。高校生になると、すし屋かラーメン屋。この頃は、私は結構本気だったので、友人たちは覚えていると思う。


自分なりに考えたら、今、建築の仕事もしているので、少しはやりたかったことには近いのかもしれない。


スポーツの世界では、子供の頃、イチローになりたい。錦織選手になりたい。と言う人はとても多いだろう。しかし、現実はそうはならない。彼らのクラスになるには、1000人に一人も実現しないだろう。


私達は、子供の頃からすると、憧れたり目指していたことをかなり多く諦めながら大人になっていく。

こんな話から書き始めると、なんと夢のないことかと思われるかもしれない。

しかし、それが現実であることは間違いない。


大人に近づいてくる中で、今の日本は、70%ぐらいの若者が大学受験を経験する。ここでも、入りたい大学の目標と結果は大きく違ってくる。

実は、私の高校は進学校で、高校1年の時、クラス全員がお互いに志望大学を発表する場というかイベントがあった。今にしてみれば、何とも不思議な出来事であるが・・。


その時のほとんどの人が、東大、京大をあげた。結果、このクラスに合格した人は一人か二人ぐらいだった。もちろん、高校1年の時の目標だから2年強頑張るとしたら可能性はある。真剣に努力した人もいれば、単に言うだけの人もいる。


努力は必ず報われるのかという話題も尽きない。

努力の程度にもよるし、今の自分がある状態、実力と目指すもののギャップを把握せずして、努力したからと言って、結果が良い方向に出る保証はない。だから、努力と言っても、結構複雑である。私は世間で努力という話題が出ていても、あまり関心がない。

むしろ、努力は報われないかもしれない確率が高いわけだから、それを前提に努力することが大切なのではないかと思う。


もちろん、私が、仮に小学校の担任の先生だったら、“努力は報われるよ。楽しい人生にしようとすれば、何かと努力しようね”とは真剣に教えようとするだろう。

ただ、大人として現実社会を知り過ぎている今の私には学校の先生は出来ない。

どうしても、現実を語ってしまうからだ。


今、子供の頃のまま大人になったような人が増えてきている。

本当の努力を知らない人に多いと思う。

簡単に言うと、理想的な事ばかり言う。実際に、やってみなさいと言うと、できない。

それは子供の頃から本当の努力する機会が少なかったのだろうと思う。


努力と言うのは、理想や目標と今の自分のギャップを埋めることだと考えているが、

そのためには、どれだけギャップがあるか、それを埋める努力に避ける時間はどれぐらいか?継続できるのか?結果が目標通りでなくとも得るものがあるか?副産物はあるのか?など色々と掴んでおきたい。


やみくもに突き進むだけでは、

成功確率は低い中ショックが大きくなるだけだ。


そういう意味では、努力と言うのはとても複雑で多様な見方ができる。

目標設定が高すぎても努力は無駄になる確率が高まる。低すぎても達成したとして本当の努力とは言えない。


必ずしも努力が目の前の目標達成に直結しなくても、そういう習慣、そういう取り組みで得た副産物が人生には必要であることを、大人になるにつれて、身に付けていきたいところだ。


話は変わるが、OKYという言葉が、新興国などの現地に赴任した人の定番なっている。

お前来てやってみろの略語だ。


これは海外赴任に限らず、現実を知っている人は、理想ばかり並べる人に対して、本心で思っていることだ。今の大人でも、経験がないことに対して、理論、理想だけ語る人が多くなった。


それは、本当の苦労をしなくてもよい社会になったからだと思う。新興国などに比べて、本当の苦労ができる機会が少ない。


実際に経験ができなくても、理想と現実のギャップが理解できる、こういう教育が今の子供たちに必要な事ではないかと思っている。


以上

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株式会社ブレインワークス 代表取締役 近藤昇