混沌化するメディアとの落とし穴と付き合い方

仕事柄もあるが、最近のメディアの存在は何かと気になる。

メディアと言えば、今の私にとっては、新聞、ネット、書籍、人が真っ先に浮かぶ。

私はすでに8か月ほどテレビを観ていない。ふとしたことで、観ない時期が続いて、今は、観ずにどこまで過ごせるかを試している。


それで何か不自由があったり、問題があったりするかと言えば、今のところ全くない。

そもそも、デレビを観る時間はほとんどなかったが、数年前であれば、しっかり、朝の報道番組を見てから、活動を開始するパターンだった。

今はその時間は、ブログ書いているか、朝日を写しに出かけている。

こんな訳で、大した変化でもない。


実際、メディアの変化としては、ネットの影響が一番大きいとなおさら痛感するが、これも私も含めてほとんどの人が、スマホを持ち歩くから余計見てしまうのだろう。


先日も、ふと、夕暮れ時に神戸の道路を往来する人達を眺めていて、改めて驚いた。

手にスマホもって歩いている人が半数以上。数えたわけではなく、何となくの感覚の話しだが、ポケットやバックではなく、手に持っているのである。


我に返って考えると、私もその一人である。

だから、メディアの変化と言っても、ツールで言えば、やはり、スマホの要因が最大ではなかろうかと思う。


実は先日、私が行っているライブは配信“ブレワ”でこのブログのタイトルで話しした。


内容は、概ね以下の項目について、思いつくままだった。

・世界に拡がったSNSの功罪

・コロナ禍で加速するメディアの混沌化

・メディアリテラシーとは何か?

・情報感度を磨く

・動画と写真と文章と音声

・フェイクニュースの見分け方

・メディアとマーケティングは表裏一体

・見える化は進んでいくのか?

・記録の時代は確実に進展している

・やっばり信用できるのは人

・感じるメディアの創造を目指して


明らかに、一昔前とはメディアの概念や対象となる範囲が違っている。情報発信やコンテンツを提供するツールや仕組みが多岐に渡り、使い分けもままならない。


でもすべての情報やコンテンツの届け先は、私達、人間である。

人間が生み出し醸成したものを発信し、それがまた人間に戻っていると思っている。

もちろん、発信もしないし受け取ることもない人もいれば、発信だけに偏っている人、受け取るだけに偏っている人も多いと思う。


私は、マスメディアの立場ではないが、創業以来、出版などのメディアを自ら運営し、発信する側としても色々と試行錯誤してきた。


今なにか結論がある訳ではないが、きっと、スルーするスキルというか仕組みと言うか、そういうものができないと、混沌化するメディアの中で、人間がどんどん疲弊していくという感覚と危機意識は強くある。


また、テクノロジーの進化のメディアへの影響も大きい。ただ、それはやはりデジタルであるということであり、人間にとってはストレスの要因の増大にもなる。


そんな訳で、何か、たまには安らげてほっとする、心穏やかな新メディアの仕組みを作りたいと思っている。そのイメージが“感じるメディア”でもある。


以上

近藤昇オフィシャルサイト

株式会社ブレインワークス 代表取締役 近藤昇