話することと書くことの違いにハマるとなかなか奥が深い

話することと、書くことのどちらが得意かと誰かに聞かれたら、毎日ブログを書いている今でも、話することと私は答える。


だからと言って、誰にとっても話することの方が書く事よりも楽だとは限らない。


随分前からこういう話をよく聞いたことがある。

ベストセラーを書いた著者の講演が意外とつまらなかった。魅力的な奥の深い文章が書ける人であれば、それだけ話が上手である、面白いという先入観と言うか期待値を読者や聞き手は持つのは自然だ。


ビジネスの現場でもそうだが、プレゼンの資料や説明資料の作成が抜群の人が必ずしも話することが上手だとは限らない。


もっとも、ビジネスの世界であれば、話する練習をすれば、それなりに上手になる。

これは、ビジネスには、ある程度のパターンと型があるからだ。


反対に、話することが上手な人が、素晴らしいビジネス文章を書けるようになるかと言えば、これはなかなかなハードルが高い。

話することは、雰囲気や態度、表情など、実際の話とは別の要素の影響が大きい。

メラビアンの法則でもよく語られることである。


また、聴き手としても、例えば、一切の資料なしで人の話を聞いた場合、大半が正確には理解できない。私は、1/3理論を常に前提にしている。

要するに、人の話は、1/3が正確に伝わり、1/3が忘れられ、1/3が誤解される。

もちろん、ケースバイケースで、話の内容の難易度やテーマによるし、当然に聴き手の前提知識やスキルにもよる。


完全に把握することはできないにしても、話し手は話する前に、聴き手がどんな人かを知りたくなるのは当然なのである。


話が得意な人は、ビジネスをする上では、強力な武器になる。

しかし、話が得意ということは、それを聴いてもらう相手が必要である。

ケースバイケースだが、それもTPOで考えないと、コミュニケーション軽視のただの一方的に話する人になってしまう。


また、話が一見得意そうでも、実は話にまとまりがなかったり、論理性に欠けてしまう事も多々ある。そして、話が得意な人の話は、平均よりも長くなる傾向がある。

いずれにしても改善の余地はある。


そういう人に、私が特にお勧めしたいのは書くことである。

書くことによって、どういうスキルが身につくかだが、幾つか挙げる。


一つは、正確な言葉遣いが身につく。

普段何気に使っている日本語でも、間違えていることもあるし、もっと的確な表現があるかもしれない。書き言葉にすると、話している時とは違った気づきと改良の余地が見つかる。


二つ目は、論理的な思考、話し方が身につく。

実際に話し言葉を、テープ起こししてみたらよく分かる。今どきは、自動変換ができる時代にはなったが、まだ、完ぺきではない。


私も以前、本を書く時には、講演などをテープ起こししたものを材料にしていた事がある。その時、一番感じたことは、文章にすると、言いたいことは分からなくはないが、冗長だし、文章として主語述語はバラバラだし、言い間違いも多い。話し言葉では接続詞もてにをはもほぼ意識にない。


多分、自分で気づいているところと、自分自身も話しながら、アドリブが混ざるので、支離滅裂ではないにしても、雰囲気のみで話していることもある。

だから、結論から言うと、テープ起こしをちゃんとした文章にするのは大変だ。


慣れてくると話するようなペースである程度はスラスラと書けるようになる。

多分、これが文章や本を書く時の理想のように思う。

話しながら思い付つくように、書きながら思いつくのが理想だ。


書くことが出来る人が、話できる必要があるかだが、私は、必ずしもそうは思わない。

なぜかと言うと、書ける人と言うのは、人がいるかどうかではなく、自分の発想の泉を持っていて、そういうクリエイティブな環境に身を置けば、いくらでも文章が浮かぶのではないかと思う。人が目の前にいなくてもイメージできるスキルが高いと思う。


では、今まで文章をプロとして書いてきた人が、話することで得れることは何かといえば、聴き手の反応を直で感じることが出来ることで新たな境地は開ける可能性はある。


私は今、書くことも話することも、もっともっとブラッシュアップしたいと考えている。

出版も含めたメディアを運営しているので、著者や表現者のサポートができるようにレベルアップしようという意識と、シンプルに奥が深いし、知的なビジネス活動には欠かせないと思っているからである。


以上