日本の地方と新興国の地方はどうやれば、つながるか?
したがって、チャーター機が到着したこの日の空港は貸し切り状態。私は海外の空港を頻繁に利用しているが、こんな経験は初めてだ。今回の参加者は海外慣れしていな人も多く、チャーター機という非日常に皆さん興奮気味だった。
カントー市に初めて訪れたのが思い起こせば、11年前。その9年後に自前でチャーターした飛行機で来ることになるとは、誰が想像したであろうか?もちろん当事者の私自身もまったくの想定外の仕事になった。
日本のODAで作った交通インフラで物流が大きく変わろうとしている時に遭遇した。この場に来ないと、こういう実感も沸かないし日本の貢献も分からない。
日本は、ODAで新興国などに多大なる貢献をしてきた。その反面、日本人はほとんどそのことを知らないし、そもそも現地の人も日本に対して、それぼとの感謝の意識も持っていない。
その理由をシンプルに言うと、日本がODAの貢献をアピールをほとんどしないからだと言われている。私も新興国を巡りながら、同じ実感がある。
確かに、控えめな日本人らしいと言えばそうで、嬉しさもあるが、日本の隣国のアグレッシブさと比較すると少し残念な気持ちも常にある。
言われるままに同行。カントーに到着すると、地元のVCCI(日本で言えば商工会議所)の方々からの歓待を受ける。いきなりの、地元の有志の方々との交流会、飲み会だ。
私はお付き合い程度と思っていたので、少々面食らった感はあったが、ベトナムに対しての免疫もできていたので、こういうアグレッシブさを見習いたいなあと妙に感心したのを覚えている。
彼らはとにかく、日本企業を誘致したい。日本人を連れてきてほしい。そんな勢いに押されてと言うか乗せられて、いつもの私が“任せてください”と言ってしまった。
その後、ドックさん交えての戦略会議がカントーで何度も行われるようになった。
最初は、私の友人の社長にお付き合い頂き、日本代表として有志10名で訪問。何度か日本人を案内した。
2015年には、第1回越日文化経済交流イベントがVCCIと当社の共催で始まった。日本人の参加者は頑張って約20名、その翌年は約30名。年々参加人数が増えてはいたが、ベトナムの期待値とは相当のギャップだ。
第3回目もなんとか40名近くの日本人が参加。そして第4回目の企画を始めた約3年前の事である。
次回は100名は連れてきてほしい。
いや、無理です。こんなやりとりから始まった。
こんな侃々諤々のやり取りをしている中で、チャーター便の話がまとまってしまったのである。
第4回越日文化経済交流会の約10か月前の事である。
チャーター機をどうやって飛ばすかのあたりは、別件の経験である程度はあった。あてもあった。
色々と検討や調査を重ねた結果、チャーター機自体の契約はVCCI、日本側の手配はHIS社と当社で役割分担までが決定したのが、フェスティバル本場の4か月前の7月だった。
それからも、すぐには最終決定に至らず、チャーター機ツアーの実行が最終決定したのは、フェスティバルの開催まで3か月をきった9月上旬だった。
それから、最終搭乗者の締め切りの10月末まで想像を超える試練の毎日となった。
困難な仕事やプロジェクトの達成感は半端ない。
飛行機をチャーターするのも初めて。チャーター機に乗るのも初めて。感覚的には、何度も経験しているバスのチャーターと似てはいるが、如何せん海外である。
こうい緊張感とワクワクワ感は早々味わえるものではない。
約1年で3回のチャーター機を飛ばしたことになる。
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